種子島を舞台に青年・光太郎の再生を描く物語、『ライフ・オン・ザ・ロングボード 2nd Wave』。
本作は2005年に公開された、故・大杉漣の主演映画『ライフ・オン・ザ・ロングボード』の14年後を描いた続編でもある。
光太郎役に臨んだのが吉沢悠。趣味であるサーフィンの腕前も発揮している。


──サーフィンのシーンは、実際に吉沢さんがやられているカットもあるそうですね。
「タイトルが『ライフ・オン・ザ・ロングボード~』なので、長い板に乗るのかと思っていたら、監督は『ショートに乗ってくれ』と。これまで僕は長い板に乗っていたのですが、8年ぶりにショートに切り換えて練習して臨みました」
──種子島を訪れる光太郎は、かつて花形のサーファーだったことが次第に明らかになってきます。それにしても、光太郎の〝社会人として失格っぷり〟はすさまじかったですね。
「はい(笑)」
──愛想ゼロだわ、厚意で紹介してもらったバイトを無断で抜け出すわ……。
「前半、あえてダメな人間性に振るのは(喜多一郎)監督のプランです。やっているうちに監督もノッてきて、地元の高校生に協力いただいて『挨拶をされても返さない』シーンをつくったり、〝ダメっぷり〟は現場でも肉付けされたんです」
──「なに考えているんだ、この人?」という感じでした。
「いろんな人との出会いがあるなか、島の年配の方たちと出会って決定的に変わる。人生経験豊富な方の言葉にグッと来ること、あるじゃないですか。台本を読んですごく好きなところでもあったので、変化の幅を逆算してああいう演技になりました」

背負っていることが演技にプラスされる
──本作は、光太郎が再生していく物語ですが、吉沢さんご自身に重ねて観たところがあるんです。吉沢さんも、いったんは役者の道を離れたものの、再び戻って来た、という経歴をお持ちですよね。
「あ~、そこまで深くは考えていなかったです(笑)。光太郎の再生の仕方と僕自身のそれは違いますからね。ただ……僕で言うと演技、光太郎はサーフィン。好きなものに対して思いを抱きながら人生を過ごしていきたい、というところは近いところがありますね」
──俳優業から遠ざかったのは、2005年、26歳のときでした。
「僕の場合は、道がわからなくなっちゃったので1回立ち止まってみよう、一度演技とは関係ないところに身を置いてみよう、という選択だったんです」
──〝リセット〟ですね。
「まぁ、ニューヨークを選んでいる時点で、『少し触れていられる場所に』という気持ちがどこかにあったんだと思います。いろんなパフォーマー、アーティストが居る場所なわけですから、どこかで捨て切れていないというか……」
──そして、わりと短い期間で戻って来られましたよね?
「行っていたのは半年で、休んでいたのはトータルで1年くらいですね」

吉沢悠さん──個人の感想ですけど、『夕凪の街 桜の国』(07)や『ブラッディ・マンデイ』(08)、『平清盛』(12)などを観て、以前は「かっこいい役者」だったのが、「何かを抱えている人なのかな?」という印象に変わったんです。
「『よし。じゃ、何かを抱えている人物像をやろう』と思って演じたわけではないですよ(笑)。過ごした期間のなかで背負っていることや考えることが、演じる上でいい具合にプラスに出たので、そういう印象になられたのかもしれないですね」
──俳優という表現への向かい方はリセット前と後で変わったんじゃないですか?
「いまも、掘り下げ続けています」

キャスティングされる自分でいられたことに、感謝
──「俳優とは何ぞや」というところに行き着きました?
「いや、『演技をすること』とか『俳優として』みたいなことは、リセット前、二十代前半の方がよく考えていました。哲学的とまでは言わないけど、難しく捉えすぎていて、なにかはっきりした言葉に収めようという思いが強かった。結局、『こういうことか』にたどり着く前につぶれちゃった、ってことですね。三十代に入ってからは考えもしなくなって……いまも『俳優とは』なんて、よくわかっていないですね」
──それでもリセット直後は、まだ考えていたんですか?
「そのときは自分が俳優として何ができるかよりも、〝カメラ前に自分が居られる〟とか、舞台で言えば〝板の上に立っている〟とか、演技ができるという環境を与えられることに対する感謝の方が大きかったですね」
──〝よくぞ、この場所に戻してくれた〟という感謝ですか。
「戻してもらえたこともそうだし、〝ここにキャスティングされる自分でいられたこと〟にも感謝。ブロードウェイの舞台をお客さんとして観ていたとき、僕的には向こう側、板の上に立っていたいわけです。そこに居られないという悶々とした気持ちがリセット中ずっとあったので」

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